INTERVIEW
次のリーダーを育成していく
宮城県 北海道・東北ブロック
加藤 仁志
Hitoshi Katou
私は現在、工務店の専務をしていますが、以前は現場で働いていました。ところが25歳の時に父が急死し、以来兄と私と弟と、兄弟3人で会社をやっています。3人ということは、当然ながら父一人の時よりは会社を大きくしなければいけない。父は年間5,000万~7,000万円くらいの売り上げを上げていましたが、現在では3人で6億円の規模になりました。業績は伸びたと言っても、私は専務としての仕事があり、現場で物を作ることができなくなった。社長は兄で、以前勤めていた大きな会社からの受注を、専務の私は地場のお客さまから戸建住宅の受注を。弟は現場です。それぞれ役割分担をしながら、効率よく仕事をこなしています。
宮城県の米山町は、東北にしては雪が少ない土地柄です。農家の人が多く田舎なので、昔の大家族で暮らしていた頃の意識が残っているのか、家を建てる時も、座敷が8畳と10畳の二間続きだったりします。最近はリノベーションが進み、2代~3代同じ家に住み続けながら、快適さを求めて家づくりもコンパクトになっています。
米山町は人の礼儀や接し方が温かい、綺麗な町だと思います。良い意味で「線を引かない」地域です。静かだし、決して廃れているわけではないが変われない、変わらない。受け継がれる、という言葉がぴったりくる町です。私はこの町から会長をさせてもらい、地域を作ることは人を作ることだと実感しています。商工会青年部という組織に入って、2年のうちに次のリーダーを育成する。一人の人間が二期も三期もやっていても発展はしません。人を作っていくことで組織も地域も発展していく、その可能性を信じたいですね。トップという役職をやらせてもらう限りは、人を作る上でかっこいい会長でいたい。何をかっこいいかということについては様々な意見があると思います。私の場合は、一人の後輩が会長になる際に「次はあなたしかいない」と下から押し上げてくれた。
次に選ばれる人も、自分なりのルールとマナーを持ち、後輩からかっこいいと言われる人であって欲しいです。
これからの米山を思う時、20年先、30年先も変わらない景色を見ていきたいと切に願っています。家が少なくなるわけでもなく、多くなるわけでもない。私自身のことで言えば、宮城県は50年目を迎え、私で20代目の会長です。今40歳で、商工会青年部という組織の中で、この地域で精一杯活躍していくことが大切ではないでしょうか。例えば今度は息子が商工会青年部に入り、その時に「まだお前は早いから」とは言わず、率先してその場へ押し出せるようなことをしていきたいと考えています。
昔から続いている、当たり前のことをただ当たり前にやっていくことの素晴らしさをいつも思っています。困りごとがあれば、例えば火事にでもなれば3日後には仮設住宅が作られ、衣類もたくさん集まってくる。
信頼できる、きちんと頼りにできる人たちがいるのは、とても尊いと思います。商工会青年部では、次もここから会長を輩出できる後輩を育成していきたと考えています。