INTERVIEW
人との繋がりを根っこにおく
青森県 北海道・東北ブロック
安田 勝司
Shoji Yasuda
父が福島の出身で、青森県で事業を始めたのが現在の仕事の成り立ちです。私自身は23歳の頃にカナダのバンクーバーへ留学。いろいろな国から人種も言語も食文化も違う人たちが集まってくるので、高い物価と治安の悪さに悩まされながら、バンクーバーオリンピックの2年くらい前まで滞在しました。街が一番活性化していた時期でもあり、映画の撮影が行われている現場を見たり、有名俳優に出くわすことも。この期間に学んだ英語の語学力は、不動産業の今の仕事に活きています。
会社がある青森県三沢市のキャッチフレーズは「国際色溢れる、文化都市、三沢」。
米軍の三沢基地があるため、幼い頃から外国人がいるのは当たり前でした。三沢市の約40, 000人の人口に対して10,000人の米軍関係者がいるほど、外国人の比率は高い。
太平洋に面したこの街には、昔は日本海軍があり終戦後その跡地に米軍のベースができたとか。次第に商店街も立派になり、年に数回彼らと文化交流があります。子どもたちにもぜひ、インターナショナルな空気を味わって欲しいと思っています。
三沢市のいいところは、他所から来る人に対して開放的なところ。新しい人々もウェルカムで迎えます。企業やUターンで戻って来た人にも、年間13回ある様々な祭りに参加するだけで、その気分を味わってもらえるのではないでしょうか。
東北ブロックの商工会青年部が主幹となって執り行う「七夕祭り」では子どもから大人まで参加するヒップホップのダンスコンテストなどの手伝いを行なったり、外国人のチームもエントリーするスリー・オン・スリーの大会を催したり。3日間で13~14万人が集まりますが、青年部員は39名。大変な部分はありますが、各委員会ごとに仕事を振り分けながら運営しています。また、8月の盆明けには山車が12~13台市中を練り歩く祭りもあります。夏から冬まで切れ目なくイベントがあり、その理由は「なにがしか、自分たちの手でこの街をどうにかしたい」という企業や団体の思いが強いからではないか。私自身も、結構なお祭り男です。
私が商工会青年部に入ったのは20歳の時。それから18年、ちょうど東北の震災の時に部長になりました。活動は炊き出しが主でしたが、この頃は三沢市だけではなく広域的に商工会青年部員が集まり、自分でお金や物を出し合うなど、結束力の強さを実感しました。
東北ブロックの会長になり1年が過ぎ、青森県の商工会青年部の50周年式典ではいろいろな方と話す機会にも恵まれました。根底にあるのは、それぞれの企業が元気であってこその活動なので、個人の会社の利益になるような勉強会のテーマを打ち出していけたらいいなと思っています。
大切にしていることは「心の繋がり」。商工会青年部でも上下関係にこだわらずいろいろな分野で繋がりを持ち、交流し合うことで、足りないところを手助けしていただき、またこちらも尽力することがある。こうした心の繋がりを大きくしていくことで、人と町の幅を広げていきます。