INTERVIEW
他者の意見を聞き魅力を再発見する
千葉県 関東ブロック
山崎 勝矢
Katsuya Yamazaki
私は現在、成田空港のある多古町に住み、事業をしています。成田空港が開港したのが昭和53年5月。私が生まれたのは昭和52年10月とほぼ同学年ということで、生まれたときからそこには成田空港がありました。当初は大きい空港ではなかったが、第一期、第二期と工事をしていく中で大きくなった。成田空港とともに生きてきて、ともに成長してきた時代だったなと改めて思っています。
多古町は元々、米を生産する農家だったり、人口が多かったので商売があるといった地域でした。成田空港には約5万人が働いていて、多古町から成田空港へ就職する人が多くいます。そのお陰で、若い人も地元に残って就職先があるという状況。人口の流出がくい留まっているのです。私自身、高校のときは成田空港の食堂でアルバイトをしていたこともあり、空港というよりターミナル駅という感覚。オーストラリアへ留学した際も、成田空港から飛び立ちました。旅の起点は成田空港。成田空港はどこからでもアクセスしやすいように造られていて利用しやすい。多古町まで10分、15分ぐらいで着く。田舎なのにアクセスは良いところがこの町の自慢でもあります。
私は千葉の九十九里浜で、16歳の頃からサーフィンをやっていました。趣味でしたがピークの時には大会へ出たり。大学生の時にオーストラリアヘ留学したときには、サーフィン漬けの日々。サーフィンは仕事には直接結びつかないのですが、大学もその先もサーフィンを中心に決めたところがあり、そこで出会った仲間と商売をするなど、接点の一つになっています。今、千葉だからこそサーフィンを観光業として見る目が必要ではないかと思います。商売を始め、商工会青年部へ入って周りを見て余計にそう感じています。地元の人だけではなく、他県の人もサーフィンをしに来るので、観光業にすると地域の起爆剤になると思います。
観光資源があるなら使う。そして、そのために使える組織づくりをしていきたい。だから、地元の魅力をもっともっと再発見しなければ。他県の話を聞き、どれだけ吸収できるか。商工会青年部ならではの仕事ではないかと考えています。
最初は年に2回イベントへ参加する程度だった商工会青年部。30歳のときに商工会青年部の先輩から理事に!という話があり1年間、その後副会長、今は会長です。千葉県の会長として関東、全国を見ていますが、外へ出て行くと自分の町の置かれている立場がよく見えてきます。多古町の可能性はもっとあるんじゃないか。短い限られた時間の中でやることによって、その後に、自分に返ってくるプラスの部分は絶対大きくなって、返ってくると思います。今、その気持ちを持って多古町の商工会青年部として活動をしています。桜のライトアップや、各バス停に椅子を提供する事業、子どもにお菓子を配るハロウィン事業など、イベントをどんどん増やしていっています。やる意味があるかどうかではなく、やってみなきゃダメなんです。そうでなければ何も見えてこないんですから。可能性がこの先にあるなら、今やらなきゃこの先は始まらないでしょ。