INTERVIEW
覚悟を決めたとき人は変われる
富山県 中部ブロック
石本 慎太郎
Shintaro Ishimoto
地元は富山県の福光町。結婚して妻の家の家業を受け継ぐために、現在の射水市に引っ越して来て、17年が経ちました。最初は全く経験のなかった塗装という仕事に戸惑い、自分にできるのだろうかと、何度も自問自答しました。それまでの仕事は、調理師。体力とは無縁の仕事だっただけに、実際に現場に出た時には、ただがむしゃらに会社を大きくしたい!という思いだけでやってきました。17年経ってやっと、ここ射水市も自分の町だという認識が生まれ、第二の故郷として大切な町になりました。
会社は小さな規模で、同族経営です。朝起きて仕事をし、夕方5時に終わり家に帰るのが一日の生活のサイクル。友だちも知り合いも全くおらず、知っているのは家族だけ。義理の父は僕と晩酌をするのが夢だったようで、しかし、酒が飲めない僕にはそれは正直とても大変でしたね。
気持ちが外へ向かったきっかけは、結婚して1年半が過ぎたころ、商工会青年部の方が会社に来られて、青年部への参加を勧めてくれました。義理の父も若いころに青年部に入っていたようです。実際に入ってみると、みんなが声をかけてくれるんです。話を聞いてくれる。とても安堵したのを覚えています。
商工会青年部に入ったのは22歳の時です。商工会青年部のイベントも次第に楽しくなり、会社と家の往復ではなく、初めて地域と触れ合える感覚。ようやくこの町の人々に受け入れてもらえ、居場所ができたような嬉しさがありましたね。それからは商工会青年部へ行くことが楽しく、仕事の悩みや自分がどうすればいいかということを商工会青年部の人たちと話していました。そのうち商売ってこういうものだよ、と言ってくれる先輩がそばにできたころから人間関係が深まっていきました。
25歳の時、大きなビジネスチャンスがありました。今の仕事の幅を広げないかというのです。銀行から借金をして工場を建てるという話で、小規模事業から少し規模を拡大するチャンスでした。しかし、4億円の借金をすることに義理の父は猛反対で「銀行へ行って話をする前に、青年部へ行って話をしてこい。スタートはそこからだ」と言われました。商工会青年部へ行くと「事業計画書は?」と問われ、「なにそれ?」という感じでした。そこから一歩一歩出直しです。借金をしてまでやりたかったのは、本当は会社を大きくするより困っている人が目の前にいて、できないと言うことが悔しかったんです。産業があって、事業があるならできないと言いたくない。自分たちにできないことがあるなら、できるようにしたかった。多くの人たちの協力で、結果的に事業は大きくなりましたが、根っこには、目の前にある仕事をできるようにしたかったのです。ちょうど10年前のことです。
手探りの中から工場をはじめて、成長の途中でリーマンショックも経験しました。その時に商工会青年部の先輩が3人会社に来てくれました。「今、大変なんだろう。話をしないか」と言ってくれ、会社の状態、仕事の状況の話をしました。凹んでいたらすごく怒られて「お前だけが大変なわけじゃなくて、みんな歯を食いしばって頑張っている。もっと俺らに相談しろ。一人で悩むな。それが青年部なんだ」と言ってくれたことが衝撃的でした。おかげでその9ヶ月後に、売り上げは100倍になりました。思ったのは、諦めたらいけない!ということ。成功するんだという信念を持つことです。チャンスはどこにでもあります。あのリーマンショックがなければ、そのことさえ気づいていなかったと思います。
自分の地域で誇れるものは、ここ商工会青年部。商工会青年部は、商売をしているなら入らないといけない団体でしょう。経験することは自分でしか実感できないけれど、人からのアドバイスを聞くことは、可能性を広げるチャンスなのです。今後は、若い人たちが誇りを持てるような単会にしたい。僕自身のことでいえば、会長の任期中にまた、新しい工場を建てることが目標です。