INTERVIEW
やらなきゃいけないことがある
岡山県 中国・四国ブロック
石井 浩二
Koji Ishii
26歳の頃から、思えば働きづめの毎日でした。安定していない個人事業主からのスタートだったので、いつ仕事がなくなるかも分からないという不安。さらにリーマンショックがあったり、東日本大震災があったり。今でも1週間先、1ヵ月先の仕事が分からないですが、ちょっとずつ安定をさせるために事業の転換や拡大を行っています。1台のダンプから、重機を買ったり電動工具を買ったりして道具を増やしていき、エクステリアの仕事や土間のコンクリートを打ったり。若いという苦労もありました。金額で値切られることは頻繁にあり、ずっと歳が足りないと、どうにもならないことで悩んでいた時期に、大病をしました。妻と子がいたのでまだ死にたくなかったですね。
もう長くないかもしれないと思ったら勇気が出る。そして徐々に何かを判断する時に、もし失敗しても命までは取られないだろうと開き直れるようになりました。その後出会った、商工会青年部の人たちが見せてくれた、自分のためではなく人のために頑張る姿に感動したというところも大きかったですね。
岡山県は、平成30年7月、真備町で大きな災害に見舞われました。真備町では9割の商工会青年部員が被災しています。県をあげて復興・復旧の支援をしなければいけない状態です。小さい子どもを持つ同じ仲間が、事業所も家も被災したと思うだけで辛いですね。真備町で事業を再開できるのかなと思った時に、前向きに頑張っている青年部員がいて、これは一生懸命応援しなければと思いました。
私は岡山県青連の会長をしているので、いろいろなところから「岡山、大丈夫か?必要なものはないか?いつでも行く体制にしているから」と支援の申し出がありました。その声を被災した仲間に届けるために、岡山県青連で「インパルスボランティアセンター」を立ち上げました。多い時には商工会青年部員等が一日に50~70人来てくれました。交通費も自前、飲食も自分たちで持ちこみ。服もドロドロになって作業してくれるのを見て嬉しく、被災した仲間はもっと嬉しかったと思います。地域でも、まず被災した仲間の片付けを手伝うことを第一に挙げました。そうすることで地域の復興が早まると思っています。
事業を経営していたら、ボランテイアで動いた1ヵ月という時間はすごく貴重です。採算を度外視してまでも人のために動ける仲間には、頭が下がる思いです。この先は、被災地域自らが主体となり、復興の違う道を見つけなければならないので、まず復興支援Tシャツを作って販売し、その収益を支援金として、被災した仲間等に渡していくようにしています。
また、岡山県青連では副会長も被災しています。副会長は自動車修理工場をやっているので、これを機に新しいことにチャレンジしてもらいたい。真備を復興する、という強い信念を持っているし、その気持ちを後押ししてあげたいですね。日々状況が変わって、やっていることが正しいかどうか分からない。事業の経営も同じで、いろんな選択の中で判断を下して進める中、刻一刻と状況は変わります。良い判断ができるように、そういう支援もしていきたいと思っています。挑戦することが正しいかどうか、みんなで考えながら支援をする。何が正解か分からないけれど、やらないよりは、やらないといけないと強く思っています。