INTERVIEW
祖父母や父母の生き様を胸に
広島県 中国・四国ブロック
植田 悠司
Yuji Ueda
私が生まれたところは、安芸郡船越町。幼い頃から祖父と祖父の友だちに可愛がってもらっていました。家族は大切な存在で、その中心に祖父がいたのですが、27歳の時に母が他界。その時に「家族を頼む」と言われたのが今でも印象に残っています。以来、やることは全力を尽くそう、自分と関わった人が少しでも何か得てくれるとか、幸せになってくれたら良いと思えるようになりました。
母には17歳の頃から迷惑をかけ、それでも私が変わるきっかけを与えてくれたのは結局は母でした。母は生前、「あんたが私に一番よく似てるから、家族のバランスをとってね」と言っていました。兄は家業を継がず、妹は高校生。ならばということで、私のバランスの取り方は何かを考えたとき、継ぐのは自分しかいないと思えました。やることは全力を尽くそうという気持ちです。祖母も祖父も逝去していましたが、社会人となった後に家族と向き合う時間があったことが、私の人生の宝になりました。
商工会青年部に入ったのは23歳の頃。それまでやんちゃすることもあったのですが、とにかく祖父母、父親や母親に迷惑をかけてきたのでそれを拭いたいという気持ちが大きかったですね。地元を好きな理由は、広島市内でありながら、田舎特有の仲間意識や郷土愛が強いところ。例えば私は中学校から1度外へ出て再び戻って来たのですが、同級生と再会するのは正直辛かったですね。でも地域を盛り上げようとするうちに、今までより、より強固な絆で結ばれる。地域の人に認められたことで、船越がより好きになりました。また、母が生きていた時に我慢すること、努力すること、何かを全力ですることのかっこ良さを教わったので、自分ができることを何でもやろう、労を惜しまずやる、その思いは強くありましたね。自分自身の生活も大切ですが、時間とコストは存分に使おうと。母が他界した時に地元商工会青年部の先輩たちが来てくれたのですが、骨身を惜しまず尽力してくれた。その中で今に繋がる良い出会いができたし、いろいろな考え方ができるようにもなった。すべてが商工会青年部をはじめ、多くの方に出会えたおかげだと思っています。
私にとって地域は根っこです。地域に人がいて、帰ってくる人がいる限り地域は存在します。根っこで繋がっている人は、生涯繋がっていく気がしますね。だから商工会青年部は、地域と共になければならないし、商売をやっていく限りは繋がっていないといけない。それをやらないと田舎というコミュニティは存在しなくなるような気がします。消防団や子供会、PTAなどのコミュニティの中で自分が何をできるか、地域とともに何ができるか。コミュニティから近隣へ派生していき、互いを気にかける関係を作っていこうと考えています。だからこそ、商工会青年部は人の繋がりを求められる最後の砦だと思います。
また、事業を継続して、地域の人と繋がり続けることも大切にしていかなければいけない。船越は都会の田舎。田舎根性はむしろ良いことではないかと思ったりもします。あれこれ世話を焼きながら、よその人をいつでもウェルカムできる環境を作っていきたい。他人を受け入れる覚悟と、身内を守れる覚悟の2つで調和していける地域にしていくことがこれから必要なのだと思っています。