INTERVIEW
しょうばい人を目指して
福島県 北海道・東北ブロック
菅野 昭則
Akinori Kanno
川俣町は福島県の北部に位置し、県庁所在地に隣接する緑輝く街です。古くから絹織物の町として発展し、今なお縄文時代の遺跡が数多く残されていることから、原始時代の1万年も前より祖先の足跡が刻まれているほど歴史のある町です。
慶長年間(1596年~1614年)から生糸や絹織物取引の市が立ち、江戸城御用の川俣絹を生産するなど、国内で有数の絹織物産地に発展し、明治・大正・昭和の時代には輸出花形商品の羽二重を織り出しました。江戸時代末期には絹織物の生産で栄え、多くの「絹長者」が誕生し、彼らが娯楽用で育てていた闘鶏用のシャモ(軍鶏)を食用として普及させようと、絹とシャモの関係にヒントを得て1983年(昭和58年)に食用シャモ肉の研究を開始し、現在の「川俣シャモ」が誕生。今や高級ブランド地鶏となっており、福島のみならず全国へも出荷されております。
そんな歴史と自然あふれる川俣町ですが、未曾有の災害「東日本大震災」による原発事故により町内の一部が避難区域となり故郷を離れる人が多くいました。様々な風評被害にも苦しみましたが、一歩ずつ以前の姿を取り戻しつつあるかと思います。震災前よりも魅力ある町になるよう精一杯発信していきたいと思います。
1935年(昭和10年)、戦時中に国からの依頼で食料品や日用品等を国民に売る業務委託を受け、その流れで私の曾祖父が小売業を始めたときいております。時代の流れとともに小さな商店からコンビニエンスストアへと事業が拡大していき、現在では福島県内に5店舗を構えるまでとなりました。
三代目でもある父からは家を継ぐようにと強要された事は一切ありませんでしたが、幼少期から父の背中を見ていたせいか、家業に入ることに対し何の迷いもありませんでした。
父と18年間一緒に働いてきましたが親子というよりか上司部下の関係であったが故、親子独特のいざこざは一切無く、商売繁盛を合言葉に切磋琢磨しておりましたが、父は3年前病に倒れ帰らぬ人となりました。
父が常々口にしていたのは「しょうばい人」になれ!でした。ただモノを売るだけではなく、買い物を楽しみに来るお客さんには「笑売」を。ライバル店に負けないよう「勝売」をしろ!という意味でした。当時は特に何の想いもありませんでしたが同じ立場になってからは、よくわかる気がします。
地域にあってよかったと言われる店を目指し、自分の子にも父と同じように自信をもって背中を見せれるようやっていきたいと思います。
川俣町商工会青年部は、事業親善委員会と企画広報委員会の2つの内部組織で運営されております。事業親善委員会は主に部員間・他団体・家族等との交流活動を担っており、企画広報委員会は青年部の広報誌の作成等、青年部活動を内外にアピールする活動を実施しております。
震災以降、風評被害に苦しんだブランド地鶏「川俣シャモ」の安心安全をアピールすべく、「シャモつくねバーガー」「ふりふりシャモシャモ」など新商品を開発し、各地のイベント等へ積極的に出店参加しております。
2020年度の事業では、町内の水田に青年部自ら酒米の苗を植え、秋には収穫をし「純米大吟醸スパークリング日本酒」を醸造することができ、川俣町の新たな産品として好評をいただいております。また「全国統一絆感謝運動」ではゴミ拾いを行い、地元のテレビ局とタイアップし、青年部の活動を幅広く発信しております。
青年部は何でもチャレンジ出来る!を合言葉に普段では出来ない経験ができる場でもあると思います。青年部員としての活動期間は限られていますが、ここでの出会い・経験は必ずや今後の人生に役立つはずですし、部員それぞれの”かけがえのない”時間になると信じております。入っててよかった青年部。を目指して。。。