INTERVIEW

誇れる故郷 人と文化の交わる町

岐阜県 中部ブロック

矢島 幹也

Mikiya Yajima

歴史と文化の薫る街

私の育った岐阜県御嵩町は、岐阜県美濃地方の東部に位置し、その面積の約6割を山林が占める自然豊かな中山間部にありながら、名古屋鉄道の終着駅を有し、町の南北を東海環状自動車道、東西を主要国道が横断する、名古屋市や豊田市などの中京圏の都市へもアクセスが良好な、「人と文化の交わる町」です。
国道21号線が町の主要な交通路となるよりはるか前、同じく東西を貫く中山道の宿場町として栄え、名鉄の終点駅である御嵩駅周辺などには、今でもその名残を多く残しています。
戦中には当時重要とされた燃料のひとつであった「亜炭」の産出によって繁栄を極め、戦後も名古屋市のベッドタウンとして宅地開発が進み人口を増やした御嵩町も、現在は人口減少が進んでいます。
観光産業は決して「盛ん」とは言い難いですが、国定公園であり地域有数の景勝地である鬼岩公園や、ささゆりが群生する自然公園「みたけの森」、蟹薬師を祀る天台宗の由緒ある古刹「願興寺」など、多くの観光客を集めるスポットも多く点在しています。
歴史的にも、中山道の宿場町「御嶽宿」「伏見宿」を有する交通と文化の要所であった御嵩町の観光資源や豊かな自然、気候風土を体感していただこうと、一棟貸しの古民家宿「KOMINKA HOTEL四季の家」の運営も行っています。

「クリエイティブ」で地域を元気に

私は制作会社を経営しています。物心ついたときから自分で創ったものが誰かのためになることにこの上ない喜びを感じていました。高校、大学時代は音楽活動に明け暮れました。もともと「表現」が好きだったのかもしれません。
その後出会った広告関係の仕事で、「表現」が仕事になり、クリエイティブで世の中の役に立ちたいと強く考えるようになりました。
「制作会社」と言うと一般的にはあまり馴染みがなくイメージしにくいかと思いますが、私たちは今、「コミュニケーションデザイン」をキーワードに、私たちのチームが「伝えたいひと」と「伝えたい相手」の間に入ることによって、伝えたいことがよりよく伝わる、わかりやすく伝わる、楽しく伝わる…というように、「伝える」に特化した事業展開を地域密着にて行っています。
地域のイベントに携わったり、地元密着のテレビ番組を制作したり、官公庁や企業、店舗様よりデザイン関係の仕事を請け負ったりと、伝えたい人を応援し、世の中を良くするために小さなチームですが日々奮闘しています。
創業社長として15年会社経営を行ってきましたが、いまでも自分たちのチームが創ったものを巷で見かけたときや、テレビでオンエアされているのを見たときには嬉しい気持ちになります。世の中の役に立つものを作り続けるチームであり続けたいと考えています。

「よってりゃあ、みたけ」

私は2011年に御嵩町商工会青年部に入部しました。御嵩町には、旧中山道の宿場跡を舞台に開催している「よってりゃあ、みたけ 夢いろ街道宿場まつり」という大夏祭りがあります。日頃人通りが多いとは言えない駅前通りですが、御嵩駅を起点に東西南北にそれぞれ約100メートルの十字路が歩行者天国となるこの日ばかりは、かつての宿場の活気を想像させるほどの賑わいを見せます。
かつて、当時の青年部が中心となって、町内の各地域がそれぞれに実施していた夏祭りを統合する形で始まったこの夏祭りには、この町で育った私にも多くの思い出があります。
子どもの頃は楽しむだけであった夏祭りから、やがてボランティアなどとして運営に参加するようになり、現在は青年部員として運営に携わるようになりました。そして、いつもそこには地域で活躍する大人や先輩たちの姿がありました。中学、高校生であった当時、私にとってこの夏祭りは、地域を牽引するかっこいい大人や先輩たちとの貴重な接点でもありました。そんな先輩方の姿に憧れ、私は青年部に入部しました。
私が入部した頃と比べ、若手部員も多く入部し、私も部の中では中堅的な立場となりつつあります。人としてまだまだ学ばなければならないことは多くありますが、今までに多くを学ばせていただき、育てていただいた青年部や地域のために、これからは私が持てるものをゆっくりと返していきたいと思っています。

事業所情報

商工会名
御嵩町商工会
企業名
株式会社トイ・ファーム
青年部員名
矢島幹也
代表者名
矢島幹也
企業業種
広告制作業
設立年
従業員数
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