INTERVIEW

自分にできることを自分らしく。

徳島県 中国・四国ブロック

松浦  亘修

Nobumasa Matsuura

コウノトリに選ばれた町「大麻町」

「徳島県鳴門市大麻町」鳴門市は鳴門海峡に逆巻く渦潮や野菜などの産品や、文化資源に恵まれた、東四国の玄関に位置します。その鳴門市の西に端、昭和42年より鳴門市に編入した大麻町は人口11000人の典型的な「田舎町」。一昨年、町に唯一あったチェーン店スーパーが撤退してしまい買い物難民町となってしまったような地域です。しかし歴史は古く、四国八十八ヶ所一番札所の霊山寺や二番札所の極楽寺、阿波國一宮の大麻比古神社、第一次世界大戦時にドイツ兵を収容した板東俘虜収容所の資料を展示の中心とするドイツ館などのある大麻町西部の板東地区、そして国の伝統的工芸品に認定されている大谷焼や 約200年近くの歴史を有する醸造業者のある大麻町東部の堀江地区によって形成されています。7年ほど前に自然豊かでないと定着しないとされるコウノトリが大麻町に飛来し、6年連続産卵が確認されたことで全国ニュースになりました。

創業190余年、変わってはいけないもの。

文政9年(1826)創業、父が8代目当主の老舗醤油蔵が私の家業。小学生の時から「9代目」などと呼ばれ、幼心なりに家業に就くことがわかっていた。31歳で帰省したときに父から言われたのは「お前の好きにしろ。」の一言だった。醤油の製造方法も全く知らないままだったので修行?的なイメージを抱いていたが、父の言葉ですべてが変わった。サラリーマン時代はずっと営業畑だったので営業に特化することにしたのだ。あれから10年がむしゃらに走ってきたが、正解だったかどうかは未だにわからない。私はこの会社を大きくしたいとはあまり考えていない。機械化、大量生産に踏み切っては味が変わってしまう恐れがあるからだ。すさまじいスピードで変化していく世の中でも、変わってはいけないものがあるような気がしている。ただ世界一美味しい醤油(自称)を変わらない味で造り続け、地元に恩返しするとともに新しいファンのために世の中に伝えていくことが私の使命と考えている。

田舎だから出ていきたいと思った場所は、帰りたい田舎だった。

高校の時、進路相談で迷わず県外大学を志望した。理由は単純に都会生活に憧れたからだ。いずれ帰省することを漠然と感じていたからこそかもしれないが、田舎を飛び出したかった。就職して大阪や東京でサラリーマンを10年程経験したとき、無性にあの田舎に帰りたくなった。家業に入って1か月ほどで商工会青年部の勧誘があり入部した。地域割り異業種団体であるがゆえに地元愛が強く、メンバー同士の距離が近いのが商工会青年部のいいところ。現在の大麻町商工会青年部は中学や高校の先輩後輩が多数在籍しており、仲が良い。日々連絡を取り合い、酒を飲みながら愚痴を話しあう。自社の悩みが所属業界だけではないことに気付き、解決策のアドバイスが飛び交う。そこには歳や立場の遠慮も無く何でも言い合える環境があり、それこそが歴代の先輩方が残してくれた財産である。単会の枠を飛び出し、県や全国で大麻町をアピールし、後輩にバトンをつなげることが出来るよう全力を尽くしたい。

事業所情報

商工会名
大麻町商工会
企業名
福寿醤油株式会社
青年部員名
松浦 亘修
代表者名
松浦 亘修
企業業種
醸造業
設立年
1826年
従業員数
10名