INTERVIEW
地域に恩返しをする
愛知県 中部ブロック
加藤 泰幸
Yasuyuki Kato
愛知県の足助町は、中山道の宿場町として栄えたところです。一時期、中央線ができたことで岐阜へ人の波が流れていってしまいました。そこで足助町の人たちは山に紅葉を植え、各地から人を呼ぼうとシフトチェンジ。それで今の香嵐渓ができ、「紅葉ランキング1位」と言われるまでに。町を何とかしたいという、地元の人の想いが根付いている土地だと思います。
この足助町で祖父・祖母、父母と代々過ごし、妻も足助町の出身です。私は18歳の時から7年間東京に住んでいました。稼業の和菓子、洋菓子の勉強をするために製菓専門学校へ行き、卒業後も4年間、麻布で和菓子の修行をしました。地元に戻ってきてからは父に教えを乞いましたが、今風に変えなければいけないこともある。地域を盛り上げることができる和菓子屋になりたいですね。観光財産があって人が来るというだけではなく、ここの店を目的に通ってくれれば、通年かけて人が来てくれるようになり、商売が盛り上がれば、地域も盛り上がるのではないでしょうか。
今年39歳。この地でずっと商売をやっていきます。その中で地域に恩返しができればと考えています。またそういう店がたくさんできれば、地域が良くなると確信しています。商工会青年部で意見交換をしながら、そうした前向きな地域にしていくべきだと思っています。
商工会青年部は熱い人たちが多いです。部長は鍛冶屋。野鍛治ではなく、五寸釘からペーパーナイフを作るという、体験型のサービスをやっています。そういう場を提供することも、地域の魅力発信の重要な要素だと思います。
私は和菓子作りを通して、これから地域の活性化に貢献していくつもりでいます。和菓子は上生菓子など、季節を表現できる媒体。もしかすると料理よりもその意味は深いかもしれません。日本人は四季を愛する民族だから、花や空を見て季節を感じます。たとえ温暖化が進んだとしても二十四節気に合わせてお菓子を作り、お伝えできるのは楽しいです。
食の西洋化から日本食離れが進んでいく中、子どもたちの生活で和菓子が忘れられていくというのはいかにも寂しい。お菓子で、そろそろ春が来ますよ、秋が来ますよ、という風に四季を伝えられるのは和菓子ならでは。この文化を、ぜひ次の世代にも継承していきたいですね。
一方で、和菓子の伝統は残しつつも、現代風に変化させる必要もあります。甘みを変えたり、バターを塗ったり。食の西洋化という概念を、和菓子にも取り入れていかなきゃいけないと感じています。例えば餡が嫌いという子も増えていくと思う。その時食べやすいように、バターを入れたり紅茶を入れたり。しかし、和の素材を使うので、根本は変えてはいけないところですね。
今後は、地域に恩返しをするということが第一。そのためにいろいろなところへ出て行って、さまざまなことを吸収したい。それを商工会青年部を通して還元できたらいいと思います。