INTERVIEW
誰かのためだからできる
愛媛県 中国・四国ブロック
山田 宏介
Kosuke Yamada
愛媛県砥部町は、松山市内から少し山手に行ったところにあり、幼い頃はテレビゲームもなかったので、もっぱら外遊びをしていました。田んぼに入ったり、冬でも川に入って魚を獲ったり。自分で獲った獲物を自分で食べるというそんなシンプルなことが楽しかったですね。19歳・20歳の頃に一時大阪と広島へ出たことがあります。だからこそ地元の良さを再認識し、幼い頃からの友人と遊ぶと昔の思い出に浸ることもできます。この住み慣れた、生まれ育った地域で仕事をしたい、砥部町で生涯を過ごしたいと心底思えますね。次の世帯、我々の予備軍を作るためにも子どものフィールドが大切なので、地域の山や川がある風景を残したい。また、それに賛同してくれる人が身近にいるというのは、私の人生の中で大きいです。
商工会青年部は、まさにそうした存在ですね。今回愛媛県でも大きな豪雨災害がありました。復興支援の現場では、青年部員の姿を多く見ました。この道の先におじいちゃんとおばあちゃんが住んでいる、あそこの家には小さい子どもが住んでいるとか。そういったことを誰よりも把握している。商売人としても地域の担い手としても。一人ひとりが地域のトップリーダーだなと今回の災害で再認識しました。
災害で絆が深まったとは、あまり言いたくない表現ですが、商工会青年部の絆は確実に深まりました。私が会長として一番嬉しかったのは、私が指示を出さなくても、みんな自分の仕事を全うし、一人ひとりが自分の役割を認識して、一人ひとりが行動できたこと。
人を突き動かすのは理屈ではありません。私の願いは、地域の商売人である商工会青年部員たち一人ひとりに、自分の意思を持って活動・行動して欲しいということ。今回の災害で、できるじゃん!という思いを持てたことは大きいです。本来、商工会青年部員はこうなんだというマニュアルみたいなものはなくていい。それよりも自分のアイデンティティとポリシーを持って行動してもらいたいですね。そして、誰かのため何かのためになっているということを、生活や商売の中で一つでも多く実感できたらと思います。
商工会青年部という、ここまで地域の垣根を超えて情報共有できるのは、他にはないネットワークだと思います。47都道府県の会長となると、全国に友だちがいる状態ですから。実際のところ、災害支援物資もSNS一つですぐに揃いました。心強い存在です。47,000人のネットワークだから全員の顔を知っているわけではないですが、商工会青年部員の誰かが困っているというキーワードだけで、会ったことがない同士のために動いてくれる人たちがいてくれるのは心強い。今回の災害でも廃業に追い込まれそうな商工会青年部員もいるけど、僕たちが動けば何とかしてあげられるんじゃないかと思えてきます。そういう心強い仲間がいるんです。
仲間たちともに、これからも地域のために頑張りたいと考えています。私たちはシンプル。人がいてそこに生活があって、町が形成されて仕事があり、地域が循環していく。アナログなことを追求しながら、少し最新技術が入れば、また商売は回っていきます。大手の真似をする必要はなく我々だからできる商売。それを探求すれば良いのだと思っています。