INTERVIEW

人にも物事にも誠実であれ

埼玉県 関東ブロック

市川 剛士

Takeshi Ichikawa

祖父の代からの心意気を今に生かす。

木工業が盛んな町・越生町で学校経営を行なっています。学園グループは今年創立65周年を迎えました。祖父が設立し、その経緯は祖父は木工所の建具職人の長男として生まれたのですが、ここ越生町は秩父連山の山々の木を東京へ運ぶときの中継地点として、木材をタンスやイスなどに加工する土地柄。戦後、「これからの時代、職人も勉強して技術を体系的に身につけないといけない」という理想の基に、自分の家の庭に黒板を作って、青空教室式で木工技能養成所をつくったそうです。70年前の話で、その後武蔵越生高校に変わり、そこに建築科もあったのですが約20年前に私立の高校になりました。祖父のアイデアでそれから越生自動車学校を開校。大きな町で学校をつくることもできたが、自分が生まれ育った地域で商売がしたいという想いが祖父にはあったようです。学校は企業と異なり、寄付行為から始まります。自腹で建てて、法人に寄付をしてはじめて学校法人は成り立ちます。最終的に自分のものではなくなっても、覚悟の上でやる。無償の愛がないとなかなかできません。運営する立場というだけで、資産にはならない。損得を超えて、社会に役立つ人を育てようという思いが祖父の気持ちの中にあったんだと思います。その想いが世の中や地域に受け入れてもらえたのではないでしょうか。私で3代目です。

仲間たちと一緒に地域を盛り上げる。

私が生まれたのは隣町の鶴ヶ島市で、住所はそこにあります。大学時代までは東京に。渋谷にあるゼネコンの建設会社に10年勤めていました。サラリーマン時代は楽しくて、事務・営業の仕事をしていました。7年目ぐらいに、学校業界は子どもの数が減って、2000年をピークに減少がはじまり、生徒が集まらなくなりました。うちの学校もこのままじゃだめだろうという話になり、「そろそろ戻ってこい」という話になりました。家業が没落したりつぶれるのは見たくなくて、32歳のときに覚悟を決めて戻ってきました。今から8年前のことです。
地域にとっての学校の役割は、地域を盛り上げようとしたときに商工会青年部や役場の人たちが協力し、頑張ってくれます。ピュアな子どもたちのために大人たちは一生懸命です。また、その姿を見て子どもたちが頑張ると、我々大人も地域の人もワクワクする。学校という場を通してそうした光景を目の当たりにするわけです。私は、学校教育から地域を作れると思っています。

教育の原点は次の世代を育てること。

「誠実」というのが学校の校訓なのですが、地域に対してもその言葉通りにやっていこうと思っています。うちは職業教育が創業当初からの目的ですので、高校の職業教育を、最後の1校になってもやるぞ!という覚悟です。教育の原点は、次の世代の人を育てること。物作り、仕事を意識してもらえるような教育をしたいと考えています。
また、越生町は人が良くて住みやすい。昔は鎌倉街道沿いだったので、群馬の世界遺産になった絹の織物を横浜へ運ぶルートがあり、いろいろな商人が行き交う場所でした。そんな商人気質が残っている町なので、子どもたちには将来ここに暮らして仕事をして欲しい。100人いたら1人は戻って来てくれるように。教育を通して町の未来への種まきをしているつもりです。最後は人と人。人生でも誠実を守っていけばどんなビッグビジネスでも信頼関係は築けると思っています。

事業所情報

商工会名
埼玉県 越生町商工会
企業名
株式会社一川工業
青年部員名
市川 剛士
代表者名
木戸 肇
企業業種
自動車運転免許取得をするための自動車教習所
設立年
1962年
従業員数
24名