INTERVIEW

みんなで好きな地域を作る

栃木県 関東ブロック

針谷 伸一

Shinichi Hariya

素材がいいとアイデアは無限に広がる。

大学卒業後、就職活動をする気もなく家業を継ぎました。家業は畳屋です。22歳で栃木県の西方町へ戻り、商工会青年部にも同時期に入りました。幼馴染の荻原くんも一緒でした。
しばらくするとだんだん世代も変わっていき、商工会青年部に後輩もできました。そのうち自分たちも先輩にくっついてやるだけではなく、自分たちで考えていろいろやろうという意識になってきました。荻原くんと一緒に祭りに関わったり「絆感謝運動」は一つのきっかけで、当初はゴミ拾いをやりましたが、次の年から飲食店とコラボしたり、自治体と一緒に草苅りをしたり。また別の年には、記念すべき「第一回寺子屋」を地域の人と一緒に行いました。「八百比丘尼堂(おびくにどう)」の草苅りと清掃に端を発したことは、ただ気持ち良いだけで、何も知らずにやっていたのです。が、ある時、この「八百比丘尼堂」の伝説と歴史を知ることになり、そうすると全然やりがいが違ってきました。そこから、寺子屋に繋がっていったのです。商工会青年部外の活動に注目し賛同してくれる人とも繋がることができ、書道家の柿沼鬼山氏がこの近所に住んでいて、その人と繋がり、祭りのTシャツのデザインをしてもらえたのは幸運でした。

構えることなく、良い空気に乗っていく。

地元のことをやるのは良いでしょ、という感覚ではなく、良い空気が流れていて、その空気に上手く乗ることができたのです。こうした楽しいことを子どもや孫も、その先の世代へも繋げていきたいし、大学など県外に出ても戻ってきてくれると思います。前の人がやってくれていたことを自分たちが続けていく。それが、何かの1ページになる気がします。
商工会青年部の活動はそうした意味でも面白いですよ。地域資源がミステリアスだったり、伝説もあるのでやりがいがあります。商工会青年部として面白おかしく、みんなで楽しくできることをリリースしていきたい。その中に町の人を巻き込んでやっていけたらと考えています。
実は西方の商工会青年部のユニホームとして、半てんを作りました。きっかけは有名アーティストが西方に住んでいると聞き、その人たちが私たちのことを知っててくれたという奇跡のようなご縁がありました。そのアーティスト集団が半てんを着ていて、一瞬で魅了されました。デザインをお願いし、新潟の250年続いている老舗の染物屋さんに行って工房を見て、機織り機も見学した上でこの人たちにお願いしたいと依頼しました。

良いものの中に楽しみを含ませて。

良いもので作ったということは、子どもや孫の時代にも継承できると思ったからです。商工会青年部としても長く続けていきたいという思いがありました。「西方商工会青年部」に入り、地域を背負うという覚悟と、地域の活性化の中心に西方商工会青年部がありたいと願ってのことです。その意味でも仲間は、地域に役立たなければならないと思っています。半てん着て総会に行く以上は、どこから見られても地域の魅力発信源になっている。だから枠をつくらず、楽しみながら人を巻き込んでいく。みんなで好きな地域に作っていきたいですね。
西方商工会青年部流の地域おこしは、地域資源、つまり光が当たるべきものを掘り起こして、青年部員として創造力と行動力で地域の人にもう一度提示する。魅力を知ってもらって、地域をもっと好きになってもらいたいと思っています。何某かご縁があった人々との出会いは大切です。私の家業も創業110年。長い歳月を経て繋がれたものを、次代へさらに繋ぐことが大切だと私も思っています。

事業所情報

商工会名
栃木県 西方商工会
企業名
針谷畳工業
青年部員名
針谷 伸一
代表者名
針谷 正夫
企業業種
建設業
設立年
1908年
従業員数
3名
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