INTERVIEW
町の誇りを大切にする
島根県 中国・四国ブロック
尾添 泰宏
Yasuhiro Ozoe
私は、全国的にも縁結びの神・福の神として名高い「出雲大社」のお膝元である島根県出雲市大社町で生まれ育ち、この町で商売をしております。平成の大遷宮以降、大変多くの参拝客で賑っております。週末になると道路が渋滞する事はもちろん、門前となる神門通りにはたくさんの参拝客が街並みや飲食を楽しみながら歩いていらっしゃいます。
子供の頃からいつも見てきた神社が出雲大社であったという事もあり、神社の大きさの基準が出雲大社となっていました。どの神社を見ても「小さい神社だな」という印象でした。それが間違いである事に気づいたのも20代になってから。逆に出雲大社がとても大きい神社であるという事を知りました。また、ここ出雲地域は、災害の少ない町です。多くの住民が、出雲大社に守られているからだと言います。町の象徴でもあり、誇りでもある、出雲大社に支えられている町であるといっても過言ではありません。
岡山で大学卒業後に帰郷。帰ったところで実家はあるものの、仕事など何も決まっておりませんでしたが、自然な流れで父が代表を務める現会社へ入社しました。大社木工という会社名で「木工」という名を掲げておりますが、一般的に考えられる家具などの木工業ではなく、打ち出の小槌に因んだ木工芸品を製作しております。これを言うと皆さん大変ビックリされます。小槌を生業にしている会社なんて一切聞いた事がないでしょうし、それで家族を、従業員も数人ではありますが、養っているという事にも更にビックリされると思います。
弊社は、創業当初は電柱の腕木を中国電力に納入しておりました。しかし、時代はコンクリート化。電柱もコンクリートで作られるようになると、自然と腕木の需要も減っていく事は簡単に想像できます。そこで、様々な方に相談しながら、地元である出雲に根付いた企業となるべく、出雲大社に所縁のある縁起物として、現在の「福こづち」が誕生したと聞いております。
25歳で青年部に入部して早15年。若い頃は平々凡々と事業に取り組んできましたが、気付けば年長者の立ち位置に。島根県青連も平成29年に50周年を迎えました。これまで多くの諸先輩方が、我が町の未来の為に事業に携わられ、その事業を創り、続けてきていただいたお陰で現在があると思っております。また、弊社は現在4代目。上記にもあったように、先代が福こづちというロングセラー商品を誕生させてくれたお陰で現在の商いがあります。
今年度より会長の職を仰せつかりましたが、地元で支えてくれる仲間、自分で言うのも恐縮ですが、私が会長をやるなら近くで支えてやる、と言ってくれる仲間もいます。
以前、お客様から「“お陰さまで”を忘れないように」という言葉を言っていただきましたが、改めてその意味を痛感しています。
お陰さまで。今まで続けてきてくれた諸先輩方、先代がいる。今、支えてくれている仲間がいる。みんなのお陰で今の自分がある。その事を常に忘れる事無く地域の為、自社の為、取り組んでいきたいと思います。