INTERVIEW
歴史ある町、真備町。平成30年7月西日本豪雨災害を乗り越えて。
岡山県 中国・四国ブロック
佐藤 通洋
Michihiro Sato
真備町は、岡山県倉敷市の北西部に位置し、近隣の岡山市や倉敷市のベッドタウンとして人口が増加し、発展してきました。真備町の歴史は古く、町には弥生時代の遺跡が数多く確認されており、奈良時代には吉備真備が遣唐使として活躍し、それが真備町の由来となっています。
真備町では、平成30年7月西日本豪雨災害により、真備町内8か所の堤防が連鎖的に決壊し、商業施設や住宅街へ大量の水が流れ込みました。町内だけで死者51人、住宅全壊は4,600棟、最大5.4メートルの浸水という甚大な被害を被りました。現在では、少しずつ復旧・復興は進んでいますが、令和元年11月現在、5,000人弱の住民が仮設住宅やみなし住宅で生活しており、元の生活に戻るにはまだ時間がかかりそうです。
商工会青年部としては、行政や他の経済団体とも協力しながら、地元住民に喜んでいただけるイベントなどの実施に取り組んでいます。
大学卒業後、家業を継ぐため岡山に戻り、現場での経験を重ねてきました。経験を重ねる内に、仕事において、父親に聞くことよりも聞かれることの方が多くなり、決算書を見る機会が父親より増え始めた頃から、事業承継を自然と意識するようになりました。また、補助金の活用をきっかけに、新規事業のアイデアや経営計画など、今までに行っていなかった事に積極的に取り組みました。そして平成29年に事業承継し、当時は家族だけでの経営でしたが、家族以外の従業員を雇用し、その後も雇用を増やしています。
西日本豪雨災害では、事務所が全壊し、管理していた車両38台が水没する被害がありましたが、被災直後に多くの県内外の青年部の仲間たちの助けを得て、おかげさまで約2週間後に事業の一部を再開することができました。皆様、本当にありがとうございました。
今後も、時代の流れに沿った事業展開を行い、地元のお客様に喜ばれるサービスを提供していきたいと思います。
真備船穂商工会青年部員は31名でしたが、西日本豪雨災害により多くの青年部員が家、事務所ともに被災し、大きな被害を被りました。現在、大多数の部員は、事業活動を再開して頑張っておりますが、残念ながら事業活動の再開をあきらめた部員もいます。そのような部員の想いを引き継ぎながら復興への活動を続けています。
被災後は、行政復興商店街、復興イベントなども出来る複合施設、道の駅の建設などを提案し、バラバラになった地元住民のコミュニティを復活させるための活動に注力しています。また、他団体とも連携することで、地元住民に喜んでいただける復興イベントを計画し、開催しています。地元のために、私たち青年部が先頭に立って行動に移すことが大事だと思っていますので、これからも地元を想い、復興を推し進めます。